課題の発見とプロジェクト始動
2024年6~8月
JICA海外協力隊
・理学療法士隊員(以下、『隊員』)
が配属先の高齢者施設にて障害を持つ入居者の機能・能力に応じた自助具が不足していることを課題であると認識した。入居者は皆、経済的自立困難であり、身寄りが無いという背景もあり自身で購入することができない。その後、隊員が
現地理学療法士(以下、『現地PT』)
に共に自助具を作成することを提案しプロジェクトが始動した。
"対象となる障害高齢者の特徴"
全体像:
70歳代男性。パーキンソン病を患っており、ベッド、または車椅子で生活している。1日の中で5時間ほど車椅子に乗車して入浴、トイレ、イスラム教のイベントの参加などを行っている。
課題発見に繋がる背景:
各
生活動作の中で車いすブレーキをせずに動作を行う様子
が散見された。
ベッド‐車椅子間の移乗、立ち上がり、トイレ⁻車椅子間の移乗
が主に課題が見られる状況である。
"対象者はなぜブレーキをかけないのか?"
要因:
1.
パーキンソン病
による筋力低下とバラン能力低下、安静時振戦。
2.車椅子の既存
ブレーキレバーの長さが短く、ブレーキ操作時に強いトルクを必要とする
。健常者なら可能だが、
筋力低下がある者では労作を強いる
ことになる。
3.車椅子の
既存ブレーキレバーの形が小さく高齢者には目視や触知で見つけづらい
。 これらの要因により対象者は入居生活の中で不便を感じていながらも生活のため致し方なくブレーキをかけずに動作を行っていた。
チーム編成~3Dプリンター専門家を仲間に加える~
2024年9月 隊員がJICA海外協力隊技術顧問(以下、技術顧問)に3Dプリンターを使用した自助具作成について相談した。技術顧問から日本の3Dプリンター専門家、さらにマレーシアの3Dプリンターラボ”Invicus Horizon Hill’s Fablab(short form: IHH Fablab)”の
3Dプリンター専門家(以下、『専門家』)
を紹介された。彼を加えた3名でチームを作りプロジェクトが本格始動することが決まった。
理学療法士による評価
2024年9月 隊員と現地PTが、入居者の機能・能力障害を評価し、『ブレーキレバーの延長』が有効であると判断した。
他のニーズとの比較①~紙素材による失敗例~
今回の課題に際し、当初身近なもの、例えば
ラップやトイレットペーパーの芯を使用して
『ブレーキレバーの延長』するアイデアを隊員と現地PTは考案し実行した。しかしながら、
紙素材
であるため、『強いトルクに耐えられないこと』、『車椅子乗車のまま入浴する高齢者施設では水に濡れてしまうこと』これらにより直ぐに壊れてしまっていた。これらがあり
紙素材案は失敗に終わった
。その様な過去から代替え案を模索していた。
他ニーズとの比較②~3Dプリンター使用のヒントとなった経験~
隊員がマレーシア渡航前に
JICAグローカルプログラム
という3か月研修を受けた際に、熊本県球磨郡多良木町で小学生向けに
「3Dプリンターで作品つくりワークショップ」
を開催した経験があり、3Dプリンターを自助具に応用できないかと考えた。他のニーズと比較して3Dプリンターを使用してブレーキレバーを作成することが最も効果的であると判断した。
これらの一連の課題発見から失敗経験の経緯を隊員と現地PTから専門家へ伝え、3Dプリンターの使用が必要性をチームで確認した。
完成イメージのシェアリング
2024年9月
専門家は自助具作成に3Dプリンターを使用することは今回が初めてであった。
そのため隊員から専門家にマレーシアの今後のこの分野におけるニーズと今回のプロジェクトについての見通しを確認した。 先ずは完成イメージ像の目線を揃えるために
COCRE HUB の「ブレーキ延長レバー」
を共有しそこから対話を深めていくこととした。
https://cocrehub.com/dl/1e2505/s/045060/r/Bgq3CpVnS7ac4RCRa8eGaA
チームの苦労と工夫
今回の特徴である
海外連携における難しさや苦労と工夫
を共有する。
苦労:
1.物理的距離
隊員と現地PTはスランゴール州クアラクブバルにおり、専門家はそこから400km離れたジョホールバルにいる。
2.言語的障壁
第一言語は隊員は日本語、現地PTはマレー語、専門家は中国語である。連絡を取るためには英語を使用することが求められた。
工夫:
これらの苦労に際し、SNS”WhatsApp"の中でグループを作成し、写真や動画を編集して認識の齟齬が生まれない様に努めた。
デザイン設計開始
2024年9~10月 専門家から隊員・現地PT車椅子の既存ブレーキレバーサイズの採寸を依頼。採寸結果を共有した後、専門家がデザイン設計。
複雑な形状のグリップをどのように型取りしたか?
3Dスキャナーは使用せず、既存のグリップの2D画像を取り込んで参照しながら、Fusionのフォームモデリング機能を使って造形した。
使用したモデリングソフト
Fusion
試作品Ver.1完成
2024年12月 長さを延長した
試作品Ver.1
が完成。専門家から施設へ郵送。
試作品Ver.1の評価と課題抽出
2025年1~2月 隊員・現地PTが入居者に対して
試作品Ver.1
の評価を実施。
車椅子のブレーキをかけた時にレバーが遠くなってしまうため、体を過度に前傾姿勢にしなければならなくなる課題
があった。隊員・現地PTから専門家へ持ち手に角度を付けたデザインができるか提案。専門家が再デザインを設計。
試作品Ver. 1の課題が分かる動画
実際の施設入居者が操作する動画を共有する。
ブレーキ時に持ち手が遠くなってしまう
。
対話の積み重ね~最適なデザインを求めて~
2024年11月 専門家から隊員・現地PTへ既存ブレーキレバーの詳細を把握するためにレバーの実物を郵送依頼。実物郵送後、専門家がデザイン設計を継続。
再デザイン設計
2024年11月
試作品Ver.1
デザインが完成。専門家から隊員・現地PTへ写真を共有。隊員・現地PTが写真を確認し、専門家へレバーの長さを15㎝からさらに延長することを提案。その後専門家が長さ21㎝で再デザイン設計をした。
Ver.2完成
2025年3~4月
延長ブレーキレバーVer.2
が完成。専門家が施設へ郵送。隊員・現地PTが 入居者に対してデバイスの評価を実施。
持ち手が太く入居者が握りづらいという課題
があった。また、他の入居者も延長ブレーキレバーが負担軽減になるであろうと推測した。
課題抽出と汎用化の検討
隊員・現地PTの評価により
レバーを操作するための持ち手(把持)部分の周径が太く入居者が操作しづらいことが分かった
。専門家へ「①レバー持ち手2ヶ所の周径をさらに小さくすること」、「②他の車椅子にも適合するように接続部分の汎用化」を盛り込んだデザインを提案した。
入居者への評価
”ポジティブな変化”
ブレーキレバーの柄が長くなったことにより体幹部を前後させることなくブレーキ操作を行える。全体的に以前よりも遥かに使用感は向上した。
Ver. 3へ再デザイン検討
2025年8月 専門家からの報告。
軸とレバーを分けて、2個のパーツにすることで様々なタイプのブレーキに装着できるデザインするアイデア
が隊員と現地PTへ提出された。
なぜパーツを分離するというアイデアに至ったのか?その利点と欠点を補う工夫とは?
パーツを分離することで、将来的な改良やリミックスの際に、グリップ部分または筒状部分のどちらかに集中して変更を加えることができ、市場にある
様々なタイプの車椅子ブレーキへの迅速な適応
や、
特定のユーザーのニーズに合わせたカスタマイズが可能
になる。2パーツ構造の欠点としては、1パーツ構造に比べて強度や剛性が劣る点があるが、
プリント方向の最適化や強力な接着剤による接合で補う
ことができる。
ネジを使わずに軸を固定する工夫
さらに専門家より
ネジ(スクリュー)を使用せずに結束バンドを使用するアイデア
が提出された。以前よりも簡易的かつ頑丈に車椅子に固定できるようになった。
グリップが既存レバーに適切にフィットするために行った工夫
既存レバーに差し込む筒状の部分は、
既存レバーより少し大きめに設計し、緩めのフィット感
にした。上下の動きを防ぐために結束バンドを2本使用し、捻れを防ぐために2ピース構造の底部キャップを使っている。この設計は、筒状部分のサイズを調整することで、
様々な形状のブレーキレバーに柔軟に対応
できる。
出力条件の工夫
プロトタイプには
PLAフィラメント
を使用し、最終版には耐衝撃性が高い
PETGフィラメント
を使用した。将来的には、グリップ表面に強くて耐摩耗性が高い
TPUフィラメント
の使用も検討する。
現場での失敗
施設に到着したVer.3の取り付け作業中、接続部の突起が折損するトラブルが発生した。 原因は取り付ける際に正しい順序を踏んでいなかったためであった。
失敗を基にKAIZENに取り組む
本件について、施設側から専門家へ報告し、一度
オンラインで取り付け方法の共有
を行うこととなった。また、折損時の負荷が大きくなかったという事実を踏まえ、専門家より『接続部分を強化する』目的とした以下の
2点の修正
が加えられた:
1.壁を厚くする様に3D設定ファイルを修正
2.3Dプリンターに送るフィラメント設定を100% infill(重鎮率)に変更した
これらの対応により、今後の折損リスクは軽減されたと考えられる。
Ver.3入居者への評価
”ポジティブな変化”
1.持ち手の周径、長さおよび角度がより適切に調整されたことにより、入居者が少ない労力でブレーキ操作を行えるようになった。
2.新たに施設へ導入された車椅子のブレーキレバー形状にも、本レバーの取り付けが可能であることが確認された。
入居者が操作している動画
”ポイント”
体幹が動かずに手のみで操作できるくらい弱い力でブレーキ操作が行えている。
Ver. 3のSTLファイル公開
2025年8月(10月更新) 専門家より提供された
『延長ブレーキレバー Ver. 3』
のSTLファイルを一般公開する。
STLファイル
Handle_leftside
Handle_rightside
Insert_body
Insert_cap_A
Insert_cap_B
材料Tool
結束バンドcable tie/zip tie
PLAフィラメント(試作品)
PETGフィラメント(Ver.3)
TPUフィラメント(将来的にグリップ部に使用検討)
Ver. 3の動画(Youtube)の公開
”延長ブレーキレバーVer. 3 動画の公開”
これが最終的な完成ではない。「さらに入居者に対してパーソナライズできる」と、3者は認識している。しかしながら国や民族を越えてアイデアを出し合い、試行錯誤を経て協同創作したした成果を公開することとした。既存ブレーキレバーよりも
格段に入居者が自立してブレーキ操作はできるようになった
。今後は他の
入居者の自立ニーズに対しても3Dプリンターを応用していく
こととが私たち海外連携チームの目指す所である。
また、この段階でSTLファイルを含めた情報を公開するとチームで結論を出した。日本や他の国の方が当データを使い人々の困りごとを解決する手段になれば幸甚である。
一つの課題提起『なぜ既存の車椅子ブレーキレバーは短く設計されているのだろうか?』
COCRE HUBでは、我々も参考にしたブレーキ延長レバーが公開されており、現場においても入居者のニーズに応じて、
レバーの短さが課題
として浮上している。では、
なぜ長いブレーキレバーを備えた車椅子が設計されないのか
――この点は再考に値する。 現在普及している車椅子のブレーキレバーは主に3種類があり、「トグル式」が一般的である。これは上肢の筋力が弱い高齢者に適しているとされている。しかし
実際には多くの高齢者が労作を覚えており、必ずしも使い易いとは言い切れない
。 この使用者の声に対して、エンジニアがどのような認識を持っているのか――それ自体が一つの重要な議論点となるだろう。
参考資料:市販されている後付け『延長ブレーキレバー』
ブレーキレバーの短さに関して、後付けでブレーキレバーを延長するパーツが販売されている。
車いすブレーキ延長棒「エンデバー」
PIPE-FACTORY 車椅子ブレーキ延長自助・介助具 ココカラバーL (レッド)固定パーツ付
Wheel Chiar MiKi "MS-131 延長用レバー"
企業への問いかけ
本取り組みにおいて生じたアイデアおよび疑問点に関し、車椅子の製造・販売を行う企業に対して意見照会を実施した。対象企業は、マレーシア国内の4社および日本国内の5社である。 その結果、2社より有益なご意見を頂戴した。