制作のきっかけ
今回の制作の動機として、学生から卒業制作として「グルーヴをモチーフとした楽曲」を作りたいと相談されたことがあります。
音楽における「グルーヴ(Groove)」とは、言葉で定義することが難しい言葉です。そこで自分が身近にグルーヴを感じるものとして「車のウィンカーのタイミングのズレ」を作品化することにしました。思いつきもカタチにすることで、作品の体験を通して鑑賞者とグルーヴとは何かを議論できると考えたからです。
助手と学生
僕は京都精華大学で音楽専門の助手として勤務しています。
職業柄、学生と日常的に会話することが多く、3年生からは4年生になった時の卒業制作を相談されます。
その3年生のひとりに「グルーヴ」について相談されたことが今回の制作のきっかけになりました。
学生は悩んでいるようでしたが、相談だけでは伝わらないこともあり、もっと柔軟に考えれば「グルーヴ」をモチーフに意外なアウトプットが可能だということ作品として示すことを考え、本作の構想が始まりました。
アイデアスケッチ
「車のウィンカーのズレ」という現象に注目してから、制作物のアイデアスケッチを描きました。
当初はLED電球をそのまま見せるミニマルな作品も検討しましたが、最終的には車という見立てを利用した作品を制作しました。
アイデアスケッチ
ビデオシミュレーション
車のウィンカーのズレがグルーヴになる。この単なる思いつき(ジャストアイデア)が本当に作品の体験として成立するのかを確認するためにシミュレーションを行いました。
シミュレーションにはヴィジュアルデザインに使用されるプログラム言語のProcessingを使いました。一定のタイミングに合わせて車のイラストのライトが明滅し、ウィンカーの音が鳴ります。
Processing
sketch_180328a.zip
ダーティプロトタイピング
制作にあたって3Dプリンターでの出力や電子回路の組み立てなど、地味な絵面の作業が多くなると思ったので、早めに周囲と作品のアウトプットを共有するために段ボールでのモックアップを制作しました。これはダーティープロトタイピングと呼ばれる手法で、実際に動作するわけではありませんが、作品のサイズや鑑賞者の見る視点などを検証するのに用います。このモックアップがあったおかげで、現場のスタッフさんや見学者の方と作品の最終形を共有でき、具体的な議論やアドバイスがいただけたと思います。
ダーティプロトタイピング
電子回路のテスト
車のウィンカーは、1)リレーという電子部品と2)明滅のタイミングを決める部品で構成されます。リレーには電気の流れを自動で切り替える役割(スイッチング)があり、ウィンカーが明滅するときのカチッカチッという音は、リレーが動作する時にスイッチ内部の金属板が接触して生じる音です。
実際の車のウィンカーを使い、点滅のタイミングにはタイマー回路を使用しています。
Make: Electronics ―作ってわかる電気と電子回路の基礎
ダーティプロトタイプとの組み合わせ
ウィンカーでのLEDの明滅を終えたところで、段ボールのプロトタイプに実際にウィンカーやフロントライトのLEDを取り付け、より最終形に近い形のプロトタイプを制作しました。これで基本的な電子回路の実験は完了です。
可変抵抗のノブを動かすことでタイマー回路を制御し、点滅のタイミングを変えています。
ボディの制作
ここまで段ボールでプロトタイプを制作していましたが展示に用いるには耐久性に難があるため、ここからは3Dプリンターを用いて樹脂材料で車のボディを制作します。
ボディの設計にあたっては、最初にスタイロフォームで曲線的なデザインの模型を作りました。
スタイロフォームで切り出したモデルが納得のできる形状になったら、実際のモデルを測定して方眼紙に図面を描きおこし、図面を頼りに3Dプリンターで出力するための3DCADデータ(STLデータ)を作成します。
ボディのデザイン
車のデザインに関して、当初はリアル路線で検討していましたが、実車をモデルにすることで発生するデザインの権利問題や車のリアルさが、作品の体験の邪魔になると考え、むしろ「車っぽいデザイン」で留めるアイデアに落ち着きました。
スタイロフォームの加工
段ボールでプロトタイプを作った時には、作りやすさとサイズ感を優先しており、角のアール感やルーフのパース感などは無視して作っていたので、スタイロフォームで作る際には、実際にどの位置にアール加工を施すのか、パース感は適切か、などを検討しながら作りました。スタイロフォームで曲線的な造形モデルを作るアイデアは『Prototyping Lab 「作りながら考える」ためのArduino実践レシピ』の第1版で紹介されている手法です。
Prototyping Lab 「作りながら考える」ためのArduino実践レシピ
造形工作アイデアノート
3DCADソフトでのSTLデータ作成
スタイロフォームで切り出したモデルを測定して方眼紙に図面を描きおこします。方眼紙に描いた図面を頼りに、3Dプリンターで出力するためにSTLデータを作成します。
CADデータの作成にはFusion 360を使用しました。車の内部にLEDを仕込んで配線を土台へと通すので、窓ガラスの透明パーツで内部が見えたり、車のボディと土台の間に隙間があると配線隠しが面倒です。そこで車の窓ガラスは凹形状で表現し、タイヤはボディの側面に取り付けることで配線が見えないように工夫しました。実際にはありえない形状ですが、おもちゃっぽい外見が逆に作品の見立てを強調しています。
Fusion 360
NB-606 3D_model
3Dプリンターでの出力
CADで作成したSTLデータを3Dプリンターで出力します。
3Dプリンターで出力する材料としてABSとPLAと呼ばれる2種類の樹脂があります。それぞれ特徴があり、ABSは頑丈なので実際に触るものや負荷がかかるものに適していますが加工中に反りやすいというデメリットがあります。今回作るボディではABSのような丈夫さは必要なく、むしろ反りにくく造形の正確さに優れたPLAを使用しました。
1/5サイズでの強度試験
制作したCADデータを3Dプリンターで出力しました。はじめに完成品の1/5サイズの小さなモデルを出力しました。3Dプリンターは樹脂を積層して形状を作るため、大きなモデルより小さなモデルの方が構造的に弱くなるので、はじめは小さなモデルで出力して耐久性のチェックします。
3Dプリンターでの出力作業
3Dプリンターの出力には時間がかかるのですが、設計したボディを一度に出力すると予想される作業時間が11時間となってしまいマテリアル京都の営業時間ギリギリになってしまうため、今回はボディを3分割して出力しました。3分割に分けて出力しても1つのパーツに6時間程度かかってしまいますが、3Dプリンターの出力も必ず成功するわけではないのでリスクを回避する意味でもパーツを分割しての出力は有効だったと思います。
研磨作業からサーフェイスまで
3Dプリンターから出力したボディは積層痕が残っているので、ラッカーパテを塗ってから紙やすりで削ることで積層痕を埋めました。鑑賞の妨げにならない程度までボディの表面を整えるには、パテ埋めとやすりがけがそれぞれ3回ずつ必要でした。
写真1枚目:出力したばかりのボディは積層痕が残っている
写真2枚目:ボディの表面をラッカーパテで埋める
写真3枚目:パテ埋め3回、やすりがけ2回したボディ
写真4枚目:パテ埋め3回、サーフェイサー2回、やすりがけ4回したボディ
塗装作業
表面処理を終えたボディはサーフェイサーを吹いてカラー塗装の段階に入ります。
ボディの色は4台の車が並んだ時に左から赤、橙、黄、白の順番になるようにしました。今回の作品がリズムやビート、グルーヴに関わる装置なので、Roland社の伝説的なリズムマシンTR-808のキーの色をイメージしました。
タミヤスプレー
ファインサーフェイサーL
土台パーツの制作
ウィンカーなどの電子部品を収める土台パーツを作ります。
土台パーツにはレーザーカッター で切り出した部品を組み立てます。
レーザーカッターで箱物を作る際には、木材の縁を凹凸に切り出して組み立てる方法が一般的なのですが、最近ではウェブで公開されているMakerCaseを使えば、箱のサイズや切り出す板の厚みなどの条件を与えるだけでレーザーカッターで箱物のデータを自動的に作成してくれます。
MakerCase
MakerCaseの使い方
土台のスケッチ
ウィンカーの音が土台の中で反響し音が大きくなります。
そのため、土台パーツの正面には装飾として横向きの長穴加工を施し、ウィンカーの音が前へ抜けるようにしました。
これはラジカセのデザインなどを参考に考案しました。
box_date
ロゴマークの切り出し
土台の正面には、自身のロゴマークをネームプレートとして貼り付けます。
ネームプレートは白いアクリル板からレーザーカッターで切り出しました。ロゴマークのイメージはギターアンプなどに楽器メーカーのロゴが貼り付いてるのを参考にしました。
切り出したロゴの縁はマスキングゾルでコーティングして黒色に塗装した後、やすりで削ることで背景の黒地は残ったまま白い文字が浮かびあがります。
Mr.マスキングゾルNEO
制御回路の制作
今回の作品では1台ずつの車は明滅するだけの簡単なリレー回路を仕込み、それぞれの起動のタイミングをArduinoで管理することで体験のタイムシーケンスを設計しました。具体的には『Prototyping Lab 「作りながら考える」ためのArduino実践レシピ』の22章「AC100V機器のオンオフをコントロールしたい」を参考にしました。
Prototyping Lab 第2版 ―「作りながら考える」ためのArduino実践レシピ
シーケンス.ino
組み立て
ボディ、土台パーツ、回路が出来上がったので、最後にこれらを組み合わせます。
LEDの面発光
ボディにLEDを仕込む際に工夫した点として、LEDの表面を紙ヤスリで削って曇り加工にすることでLEDの光を面発光にしました。作品では車同士が隣り合うため、無加工のLEDのままだと車の側面に取り付けたLEDの光が隣の車に直接当たってしまいます。そこでLEDを面発光にすることで光が強く当たらないようにしました。
ウィンカーの位置
土台パーツにウィンカーなどの電子部品を取り付ける際に、取り付ける位置や向きを変えることでウィンカーの動作音が少し変化させています。4台の車から鳴るウィンカーの音はそれぞれ変えた方が、音が混ざり合って生まれるグルーヴを体験できると考えたからです。
完成!
これで作品は完成です。
この作品を体験した人が、街でウィンカーの明滅のズレを見かけた時に「おっ、グルーヴだ!」と思ってもらえれば作品の狙いは成功したと思います。そして、今回の作品のようにもっと多くの多様な立場の人が自分の感じるグルーヴを表現するようになれば、その表現の総体が「グルーヴとは何か」の答えではないでしょうか。
みなさんはどんなものにグルーヴを感じますか?
後日談
相談を受けた学生に本作を見せたところ、すでに学生の卒制テーマがグルーヴから変更していました。
なかなか簡単に人の悩みを解決することはできませんね。
それでも別の学生が本作に興味を持ってミニマルミュージックを調べています。
制作と人をめぐる関わり方は、問題を発見して解決するような直線的なものだけではないでしょう。
学生との関わりのなかで自分も悩み成長している日々です。