使用機材・材料

3Dプリンター Anycubic Mega-s
フィラメント Anycubic社PLA(白)

Aさんについて

76歳男性 夫婦2人暮らし
脳出血後遺症のため、右半身に麻痺がある。
右手で何かをしようとすると大きく震えてしまうので、
今までは日常生活で右手を使うことがほとんどなかった。
服の着替えや入浴など、ひとりでするには時間がかかり、
うまくできないこともあったため、奥様の介助を受けていた。





Aさんの右手が少しずつ変わっていった

筆者は作業療法士で、半年前からAさん宅にて訪問リハビリを行なっている。(週2回 40分/回)
いろいろな方法で右手を動かす練習をしてきた結果、日常生活で出来ることが増えてきた。

【Aさんが出来るようになったこと】
・お菓子やポリデントの個包装を両手で開けること
・みかんを右手に持ち、皮をむくこと
・ヨーグルトのカップを右手で持って食べること
・服の着替えを一人ですること


爪切りがこわい…

ある時、Aさんは
「家内に爪を切ってもらったけれど、身まで切られそうで緊張するよ」と言った。
奥様も「人の爪を切るのは難しいわ」と言う。

右手で爪切りを使えないので、左手の爪は自分で切れない。
左手で爪切りは使えるが、右手が震えて止めておくことが難しいので、右手を左手で押さえておく必要がある。
そのため、Aさんは両手の爪とも自分で切ることができない。

「自分で切る方法を考えてみませんか?」

「自分で爪切りができたらいいですね」と筆者が言うと、
次の訪問日に「いい方法を見つけたよ!」とAさん。
「右手を左の太ももの上に押しつけたら、右手の震えが止まる。そこで切ったらいいと思う」

右手を左太ももに乗せる…
そうすることで、右の脇が締まり、肘から先も身体に沿わせて固定できるので、腕全体が安定する。
だから震えがほとんどなくなることに、Aさんご自身が気づかれた。
身を切らずに(笑)きれいに右手の爪を切って見せてくださった。

右手で爪切りを使えるための道具作り

右手で爪切りを使いたい…
通常の使い方では、爪切りを安定して持つことが難しい。
爪切りを安定させ、かつ安全に操作できるようにしなければならない。
その条件に合う道具をThingversで探し、3Dプリンターで出力してAさんに見ていただいた。

https://www.thingiverse.com/thing:2918330/files

爪切りは確実に固定され、右手の手のひらで爪切りを押すと切ることは出来そうだった。

使ってみると…

しかし、この台の上に左手を乗せると、爪切りの刃の位置より爪の方が高くなり、
切りにくいことが分かった。

また、Aさんの爪切りには、切った爪が飛ばないように側面にカバーがついているが、
今回の爪切り台では、カバーを外さないとセットできなかった。
そのため、切った爪が床にたくさん飛んでいってしまった。

Aさんからの3つの要望

Aさんは
①爪切りの刃より前側には台がない方がいい
②爪切りのカバーをつけたままセットできるようにしてほしい
③台の下がツルツルしているから、滑り止めがあるといい
と意見を出してくださった。

Fusion360で試作。
爪切りより前側部分の台をカットして、爪切りを入れる部分を広くした。
滑り止めは、底面に100円ショップの滑り止めシートを貼ることとした。



この形では無理だ…

Aさんの爪切りにカバーをはめると、後端の方が先端より幅が3mm広くなる。

爪切りをセットする部分は、爪切りの後端から差し入れる形になっているため、
セットすると先端部分にすき間が出来てしまい、爪切りはぐらぐらする。

爪切りをセットして、このすき間に何かの詰め物をすれば固定はできる。
しかし、Aさんは左手の爪切りの時のみこの爪切り台を使い、右手の爪切りでは台から爪切りを外すので
爪切りの出し入れは簡単な方が良い。

Aさんと「この形では無理ですね」と話していた時…

「上からはめ込む形にしたら?」

奥様が「差し込み部分の屋根を外して、上からはめ込む形にして、爪切りをバンドで止めたらどう?」と言われた。
「なるほど、そうですね!作ってきます!」とお返事。


再試作

爪切りの幅に合わせて台を作成。
側方の穴からはベルクロを通して爪切りを固定する形とした。

Aさんに見ていただくと
「これならいいね。使えると思う。」
奥様は「こんなに何度も作ってもらったんだから、自分で爪切りしないとね」と笑っておられた。

Aさんの爪切り台、完成!

滑り止めシートを敷いた上から爪切りをセットすると
爪切りがぐらぐらせず、安定感が格段に良くなった。

ベルクロを通してから底面にも滑り止めシートを貼った。

Aさんの要望を取り入れた爪切り台が完成!

自助具を作るということ

作業療法士にとって、自助具を作ることは大切な仕事である。
ひとが「できないけどできるようになりたい」「頑張ってもできない」「できるけれど楽にはできない」ことを、身体の使い方や道具、環境などを変えることで少しでもより良くできるようにするのが作業療法士だ。


道具が要らないという選択

今回Aさんの爪切りの自立に向けて、どのような方法が良いのか自分だけで考えていた時は、
震える右手の爪を切るには、右手の固定のための道具が必要かと頭をめぐらせていた。
ところが、今回Aさんは道具の要らない方法を思いつかれた。

道具が要らないのであれば、その方が断然よい。
何かをしようとするときに、道具を準備しなければならないのは面倒である。

以前、右片麻痺を呈した女性の作業療法を担当していた時、
食材を手で固定しなくても使えるという釘付きのまな板を紹介すると、
「これじゃ切りにくい。釘がなくても、玉ねぎもトマトも切れるよ」と言って
包丁の刃を食材に入れる角度を工夫して、上手に切って見せてくれたことがあった。

試作品の作り直し

今回、試作品を何度か作り直す必要があったが、
3Dプリンターで作っていたのでFusion360で修正を行なった。
まだ使い慣れていないので、修正の方法も試行錯誤だったが、
この試行錯誤こそが上達への道だし、実際に作りたい形が出来上がると嬉しかった。
使い慣れると、ハンドメイドより簡単に早く作れるようになると思う。

モデリングの方法は書籍やネットからも学べるが、
宮城県のOTからオンラインでモデリングの方法から出力までを教えていただく機会を得ているのが
自分自身にとって大きい。感謝している。

Aさんの変化

震える右手はうまく使えないことも多いため、奥様の介助を受けることが多く、
当初はAさんも奥様もそれを仕方ないことだと思っていた。

筆者は右手の運動の提案をし、Aさんはやっているうちに少しずつ右手の動きが変わってきたことを実感し始めた。
日常生活で右手を使い始めた頃に爪切りの自立に向けた提案をしたので、Aさんも前向きに考えられたのだと思う。

先日は「茶碗が右手で持てるようになる道具を3Dプリンターで作ってくれんか?」と
言われたので、またAさんと一緒に楽しく考えていきたい。

爪切りを使わない爪切りについて

爪を切るには、爪切りではない道具を使うことも検討するのも良い。
人によっては、違う道具を使う方が楽な場合がある。

①やすり

爪が伸びきる前に、やすりで爪を整える方法。
刃ではないので、安全性は高い。
電動やすりを使えば手間が省力化できる。

②電動爪けずり

こちらも刃ではないので安全。

爪切り用ニッパー

手全体で握って使うので、力が入れやすい。
一般の爪切りと違って、手首の角度をつけなくても良いので、扱いやすい。
切り口がきれい。