TECHTILE Workshop01: Shake hands, who is touching?

Created Date: 2014-08-15/ updated date: 2018-03-13
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    Summary
    Let's shake hands with somebody.

    Memo

    ワークショップ設計+体験記

    posted by mnakatani on August 15, 2014
    握手で触れる・触れられる
    モノ ☆☆☆ 身体 ☆☆★ 心的イメージ ★★★ タグ:日常、コミュニケーション、入力/出力
    [用意するもの]:特になし [人数]2人〜 [時間]30分 [難易度]☆☆★
    [やってみよう]
    二人一組になって握手をしてみよう. そのときに目をつぶって,相手の手を自分が握っていると思ったら手を挙げてみてください.

    [ワークショップの対話]
    —筧研究室のゼミ.学生が見守るなか,筧と仲谷が目を閉じて握手をしている. 握手をし始めたとき,仲谷が最初に手を挙げ始めたが,やがて手を降ろす. すると,次に筧が手を挙げ始めた.それを見守る学生たち. しばらくすると,筧が手を降ろし,再び仲谷が手を挙げ始める. それもつかの間,筧も手を挙げ始め,二人同時に手が挙がっている.それを見た学生たちが歓声を上げる.
    筧:どうでした?目を閉じていたから,自分たちがどうなっていたかよくわからないのだけど.
    学生:同時に手を挙げるのかな,と思っていたけれど,結構,交互に手が挙がったり下がったりしていました. たまに両方の手が挙がることもあったけれど,たいだい一人が手を挙げていることが多かったと思います.
    仲谷:これは握ったタイミングで手を挙げたり下げたりしているんじゃないかな.
    筧:その可能性はあるかもしれないけれど,僕はできるだけ静かに握るようにしていたよ. 力強く手を握ったらわかてしまうと思って.
    仲谷:私は相手の手を握り始めるときに,手を挙げていたと思います.そのときは確かに触れにいっているから. でも,ずっと握っていると,だんだんと感覚が消えていって,確信がなくなってしまい,手を下ろしたと思います.
    筧:周りの見ている人の声が手がかりになってしまうかなと思ったけれど,そうでもないね.
    仲谷:注意深く何度もやっていたら,手がかりを使うような細かいトリックに気づけるかもしれないけれど,最初のトライではよくわからないですね.
    筧:不思議な感覚だね.ちょっとみなさんも席の隣の人同士で握手をし合ってみてください.
    [体験ノート]触れる・触れられる
    握手というのは不思議な感覚だ. 自分が触れにいっているのに,ともすれば触れられている. 触れにいかなければ,触れられることもない. まるで,鏡を見ている自分のようだ.鏡に映る自分を見ているのか.それとも,鏡に映っている自分が私を見ているのか. こんな循環構造は,エッシャーの描いた絵:Drawing Handsを思い起こさせる.
    誰かと握手をしなくたって,この循環構造は起きている. 例えば自分に触れたときだ.顔に触れているこの右手は,触れているのか.触れられているのか.
    赤ちゃんの頃は,きっとお母さんに一方的に触れられていたはずだ. むしろ撫でてもらえることが気持ちよかった. 赤ちゃんにもっと触れましょう,というタッチケアがあるけれど,確かにお母さんにもっと触ってほしかった.
    いつの頃からだろう.なされるがままに受けていた触れられることに自覚的になったのは. 思春期の頃には,きっと自覚的になっていたと思う. この前までふざけあっていた女の子に触れることはできなくなったし,中学校以降は,ふれあうなんて付き合っているカップル同士だけに許される関係性であって,そうでなければ触れることもままならない,疎遠な関係になった. 今じゃ,満員電車でできるだけ手はつり革を持つようにしている.相手が男であったって,出来るだけ触れないようにする. だって,気安く触れることはむしろ失礼に値する行為と社会的には見なされているからだ.
    ミシェル・フーコーが論じた「監獄の誕生」は,主に視覚において,客体として相手をまなざす側にいかにして立つかという議論であった. 一方で触覚でも同じ構造なのだろうか. 触れる側は触れられる側に対して,優位な立場に立っているのだろうか. それは違うと思う.その根拠は,冒頭に述べた,触れることで初めて触れられるという循環構造が存在することだ. 自分が触れなければ,触れられない.それは,視覚における一方的なまなざし・まなざされる関係のような,純粋なる二項対立とは少し異なるように思えるのだ.
    日本人の文化に,あまり握手はない. グローバルな挨拶として,握手は標準的な挨拶の仕方になりつつある. アメリカ人はしっかり握る握手に自信を忍ばせる.彼らはがっしりと手を握る. 日本人はどちらかというと,やんわりと握る.主張としての握手はしない.文化の違いなのか,国民性の違いなのか.
    握手をするときには視線を交わしたりもする.それはそうだ.握手だけでは気持ちを十分には伝えられない. 握手と同時に視線を交わす「目合い」は,そもそも気持ちを伝えるための必然として生まれたのだと思う.
    これからの時代のビジネスマナーとして,握手がどうあるべきなのか,考える点は多い.

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