NB-606(車のウィンカーを用いたグルーヴの探求)

Created Date: 2018-10-12/ updated date: 2018-10-17
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    Summary
    NB-606は車のウィンカーリレーを使った音響装置です。4つの車のウィンカーがそれぞれ独立したタイミングで明滅し、複雑なリズムを奏でます。私はこれを「グルーヴとは何か」を考える為に制作しました。 
音楽に高揚感をもたらすとされる「グルーヴ」は、感じるポイントや解釈が人によって異なり、言葉で定義することが難しい言葉です。そこで私は自分が身近に感じるグルーヴを作品として作ることにしました。

    私が身近に感じるグルーヴ、それは「車のウィンカーの明滅のズレ」です。交差点で右折を待つ車の列を見ていると、バラバラに点滅していたはずのウィンカーのタイミングが徐々にズレて一斉に点滅する瞬間が訪れ、私はその一瞬に高揚感を覚えるのです。それぞれの車は反復的に明滅しているだけなのに、それらが組み合わさると無限にも思える複雑なリズムと一瞬の高揚感が生まれる不思議。これが私の感じる「グルーヴ」です。

    あなたはどんなものにグルーヴを感じますか?

    Memo

    グルーヴとは何だったのか

    posted by oshima-takuro on October 17, 2018
    結局、グルーヴとは何だったのだろうか。今回の滞在制作に際してわかりやすいテーマが必要だと考え「車のウィンカーを用いたグルーヴの探求」と題しましたが、探求という言葉は大抵ゴールがないので便利な言葉としてついつい使ってしまいます。なので「グルーヴとは何か」と問われたら「わからない」と答えることもできますが、それではあまりにも味気ないので制作を通して考えたことをまとめてみます。

    音楽作品の中で最初にグルーヴらしきものを意識したのがミニマル・ミュージックの第一人者のひとりであるスティーヴ・ライヒの『Come Out』(1966)という作品です。この作品は黒人暴動の犯人の疑いをかけられた青年の弁明の言葉をテープで録音し、音源の断片を反復的に再生して少しずつズラしながら重ねることで、政治的な意味の強い言葉をただの音響のうねりに変化させます。僕はこの作品の後半部分を聴いている時に「なんか踊れるな〜」とひらめき、反復的な音とその差異から生まれるグルーヴらしきものを意識しました。

    ライヒの次に作家として海外でも活躍しているDJのAOKI takamasa(青木孝允)に注目しました。青木さんは京都精華大学でも非常勤講師として教鞭を執っておられ、ポピュラーミュージシャンとしての活動は一言で言えばミニマルなエレクトロダンスミュージックという印象です。少ない音数の電子音をコントロールしながら、いつまでも聴いていられる音楽は、よく聴くと複雑に変化し続けていることに気づきます。青木さんの活動や制作態度を知るうえでCINRA.NETの良いインタビューがありました。
    Aoki Takamasaのインタビュー
    このインタビューの中で印象的だったことは、青木さんもライヒの影響に言及されていることと、自身のことをミュージシャンだとは思っておらず、ただ現象を提示しているだけだと話している点です。青木さんはライヒについてフラクタルと関連させて言及していますが、反復と差異から生じるグルーヴ(らしきもの)にはシンプルな音の要素が生み出す無限とも思える展開の複雑性が隠されているように思います。
    また青木さん自身は音の現象を提示しているだけなのになぜ踊れるのかについて、聴者のバイオリズムに注目されています。音は究極的にはただの空気の振動であり、どの空気の振動から音という意味を見出すのは聴者の文化的な背景が関わっていると思います。また音の羅列をなぜ音楽と思えるのかは、聴者が音の反復と差異の経験から音のまとまりを認知するからだと思います。どの空気の振動を音のシグナルとみなすか、さらには音のまとまりを音楽とみなすか、これらの判断は聴者に託されており、何がグルーヴであるかは生理的な反応や社会的な背景とは切り離して語れないでしょう。つまり、何にグルーヴを感じるかは一義的に定まるものではなく、各個人によって異なるということです。

    この作品を体験した人が、街でウィンカーの明滅のズレを見かけた時に「おっ、グルーヴだ!」と思ってもらえれば作品の狙いは成功したと思います。そして、今回の作品のようにもっと多くの多様な立場の人が自分の感じるグルーヴを表現するようになれば、その表現の総体が「グルーヴとは何か」の答えではないでしょうか。

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